影響の輪
2009 / 07 / 04 ( Sat ) 水田画生がお届けする
リバースコーチングのブログへようこそ。 どんなに自分では取るに足らない存在だと思っていても、 あなたは必ず誰かに対して影響を与えている。 いや、「与えてしまう」という言葉の方が正しいかな。 別に気の利いた言葉を喋ることができなくたって、 あなたがいつも笑顔でいれば、 知らず知らずのうちに 周囲の人たちも楽しい気分になっていくよね。 反対にあなたが不機嫌な顔ばかりをしていたら、 あなたの周りの人たちも 釣られて不機嫌な顔になってしまう。 あるいはあなたがただ 心が痛んでいる人のそばにいるだけで、 その人の心は静かに癒されていくかもしれない。 そんな風にぼくたちの存在が誰かに対して 「影響」を与えるものであるならば、 それはできるだけ好ましいもののほうがいいような気がする。 大切な人の心が軽くなったり、 その人の唇に笑顔が浮かんだら、 どんなにいいだろうか、、、と思う。 そして、ぼくたちは1人の例外もなく、 そんな「力」を持っているとしたら? 仮にぼくたちがとても 「小さな者」だとししても、 そんな「小さな者」だからこそ、 ぼくたちはとても親しい人たちの間にある もっとも「小さな影響の輪」を 大切にしてみたいと思うのだよね。 あなたの笑顔があなたの身近な人を笑顔にし、 あなたの存在がその人の気持ちを楽にする。 ぼくたちは誰でもそんな 小さな小さな「影響の輪」を持っている。 だからこそ。 この週末はいつもより そんな「小さな影響の輪」の存在を 意識しながら過ごしてみない? 「好ましい影響」というものは 実は誰の手からでも 作り出すことができるものだということ。 そんな「力」をあなたにも ぜひ実感してほしいとぼくは思うよ。 |
ホラを吹く
2009 / 07 / 02 ( Thu ) 水田画生がお届けする
リバースコーチングのブログへようこそ。 さてと。 いきなりではございますが、 ときには目いっぱい夢を語ってみない? 現実にはありえないような 馬鹿馬鹿しい話を 思う存分語り合ってみない? 「枠」を外すという意図を持って、 壮大な夢や荒唐無稽な話をすることは、 結構、大切なことだとぼくは思うのよ。 いや、ここは「人生において不可欠だぜ、、、」とまで、いっておこう。 笑 「それはできない」 「これは不可能」 、、、ぢゃなくてね。 ここはいったん、 そんな発想や 言葉遣いは、なし。 何年も同じ職場にいたり、 あるいは大人になると、 確かに1年のペース配分や、 ゴール設定自体はうまくなってくるよね。 でも、それは単に現実的な路線であったり、 妥協の産物ということも多いのではないかな? 実はそれってゴールの形をしていても、ゴールじゃない。 夢の形をしていても、夢じゃない。 昨日の記事でも触れたけど、 それは「熱くもなく」 「冷たくもない」ものだ。 それらの言葉はぼくたちにとって ただの言葉でしかなく、 ぼくたちの気持ちに熱い炎をつけてはくれない。 昨日、ぼくたちがともに学んだことがあるとしたら、 そんな事柄こそがぼくたちの熱意や思考力を 根本から腐らせるということだよね。 もちろん堅実な発想や路線は、 アイディアを現実化していく段階において必要なことだ。 でも、最初からそれだけってのは、どうなんだろう? そんな疑問を持ってみたいのよ。 仮にあなたが良い人であればあるほど、 親や教師、さらには上司の期待に応えるために 一生懸命生きてきたのではないかと思う。 そんなあなたはとても素敵な人だとぼくは思うよ^^ でも、どんなにあなたが彼らの期待に応えて生きてきたとしても、 それは彼らの価値観であってあなたの価値観ではないし、 さらにいうならばそれは彼らの人生であって、あなたの人生ですらないかもしれない。 だから、いまはいったんそんな模範解答は脇へと置いてね。 熱くもなく冷たくもない、 ただ当たり前なだけの発想はもういらない。 話していて目が輝かないものは たとえ価値あるものの姿をしていても、価値じゃない。 誰かの期待に添う夢は、 夢の形をしていても、夢じゃない。 ぼくたちはそのことを 覚えておきたいのさ。 え? 「そんなこと達成できっこない」って?! うん、いいじゃないの! たとえそれがとても達成できないことのように思えても、 真面目な思考に馬鹿馬鹿しい発想や 突拍子もないネタを織り交ぜると、 間違いなくそれは突き抜けた発想の元になっていく。 さらにはそんな壮大な夢こそが いつの間にか貧困になってしまった ぼくらの発想や行動の足かせを外す! 頭のなかでそれを練り上げること、 あるいは時間と場所を作って それを思いっきり口にする場を設けることは、 ノーリスクだよね。 そして、もし山を登り始めたら、 最初はなんだか突拍子もないように思えた考えやゴールが 案外実現できそうなことに気づくかもしれない。 物事は頭のなかで考えてみなくちゃ、気づかない。 イメージしなくちゃ、叶わない。 これは、とても重要な「事実」であり、「真理」だ。 人生も仕事も ぼくたちが考える以上に、奥深い。 それはもっともっと自由に もっともっと面白くできるはずだとぼくは思う。 「熱くもなく」 「冷たくもない」 そんな形だけの模範解答を捨てるために ぼくたちは思考の「枠」を外してしまおう。 ぼくたちは誰のものでもない、 ぼくたち自身の人生こそを生きる。 てなわけで、今日のまとめは みんなで思う存分、「大ボラを吹こうぜ!」ってことで。 笑 「できる」「できない」の枠を外すと、人生が楽になる。 いままできっちりと生きてきた人ほど、 それはとても新鮮で 伸び伸びした瞬間になるはずだとぼくは思うよ。 <関連記事> 「グレーゾーン」 |
グレーゾーン
2009 / 07 / 01 ( Wed ) 水田画生がお届けする
リバースコーチングのブログへようこそ。 毎日雨が降り続くような、 まさに梅雨本番のお天気が続いておりますが、 なんと本日から7月でございます( ̄□ ̄;)!! 今年も後半戦。 しっかりと折り返してまいりましょう。 さて、本日はコミュニケーションにまつわる話題から。 この世で一番始末に負えねえのは、 熱くもなく冷たくもない、 つまりは「ぬるい」という存在だったりする。 ぬるいお水はカップラーメンもアイスコーヒーも作れない、 どうにもこうにもやっかいな存在であるわけよね。 これが人間であれば、 そういった人々はまさにグループを 根本から腐らせてしまう。 そう。 「ぬるさ」の最大の恐ろしさは、 そこに関わるものを 徐々に蝕んでしまうということだ。 そして、コミュニケーションを学んでいる人のなかにも、 この「熱くもなく、冷たくもない」人ってのがたまに混じっていたりするよね。 相手との衝突を避けるテクニックばかりを覚えてしまうと、 この「熱くもなく、冷たくもない」、、、 つまりは限りなく「グレー」な人が出来上がってしまうのでございます。 う〜ん、そうだなぁ。 コミュニケーションにおいて大切とされる「ニュートラル」という態度は 必ずしも「色」とか「感情」を表に出さないということではないと思うのよ。 どこまでいっても真っ平らで なんだか本心がどこにあるのかわからないような人に 人は心を開けないよね。 人には誰でも自分の生まれ持った「色」というものがある。 そんな自分の色は自分の色として しっかりと保ちながら、 他人の色も尊重できること。 それがコミュニケーションのもっとも重要なポイントとなるのだよね。 自分の「色」を表すことは、 他人の色を尊重しないという行為と イコールではない。 このことをまずはしっかりと心に留めてみない? 色が違うということは「対立」ではなくて、「可能性」だ。 だから、人と色が違うということも、恐れる必要はない。 むしろ、コミュニケーションというものは そこからはじまることを知ってさえいれば、 他人と色が違うということを 必要以上に恐れなくても済むようになるはずだよね。 「ぼくは赤だよ」といったからといって、 その場を赤一色に染め上げなければいけないわけじゃない。 仮に相手の色が「青」ならば、 あなたは「そうか、きみは青なんだね!」と 大きな興味を持って受け止めてあげればいいのさ。 お互いの色が鮮やかに浮かび上がってこそ、 美しい色のハーモニーが出来上がる。 画家がパレットに絵の具を出すように、 お互いの色をきちんと出しあってはじめて、 ぼくたちはその場の「色の配合」を決めることができるのだよね。 コミュニケーションにおいては、 自分の色を出さないことではなく、 そんな風に他人の色をしっかりと手に取る という行為こそが重要だ。 隠すのでもなく、 塗りつぶすのでもない。 そのことを心に留めれば、 ぼくたちの他者との関係の作り方は 明らかに変わっていくのではないかな。 ぼくたちはもう色を出すことを恐れない。 「グレー」な人にはならない。 そんなあなたの筆さばきこそが、 職場や家庭の未来を描いていく。 では、またね。 |
スローテンポ
2009 / 06 / 29 ( Mon ) 水田画生がお届けする
リバースコーチングのブログへようこそ。 ワタクシの住む地域では、 昨日とは打って変わってお日様が顔をのぞかせております。 今週も月曜日が始まっておりますね。 そんな皆様の様子はいかがでございましょうか? ちょっとのんびり過ごせる週末に比べると、 多くの人にとって仕事が再開する月曜日は なんとなく慌ただしい1日なのではないかと思います。 人によってはそんな忙しさに流されて、 自分のペースがつかめないままに、 1日が終わってしまうかもしれない。 たくさんのことがあっという間に 通り過ぎていくのだけど、 そのときが過ぎ去ってみると、 自分のなかにはなにも残っていないような感覚に 陥ったりすることはない? そんなときって、 「ああ、いったい俺は今日1日、なにをしていたんやろ?」みたいな なんだかちょっと虚しい気分になったりするのだよね。。。 だとしたら、 ここはほんのちょっとだけ、 そんな目の前を通り過ぎるいくつかの事柄に 心を砕いてみるというのはどうかな、、、なんて思うわけです。 人生というキャンバスに 絵筆で「ハイライト」を入れるみたいな感覚で お客様の顔を、 同僚の姿や 部下の一言を、 お昼に駆け込んだお蕎麦屋さんのお蕎麦の味とか、 子供のしぐさ、 あるいは流れていく風景を、 ほんの一瞬、 ほんの少しだけ、 丁寧に見つめることができたなら、 あるいは味わうことができたなら、 なにか違った角度から 物事が見えてくるかもしれない。 少なくとも、その「見つめたり」 「味わった」瞬間は、 今日の記憶として、 しっかり残るはずだよね。 それこそが、 今日もぼくたちが その日を「生きた」という証だ。 どんなに慌ただしいなかでも、 いや、慌ただしい時間だからこそ、 そんな「丁寧さ」が際立つのだと思う。 それは魔法のように生み出される 一瞬の「スローテンポ」。 ぼくたちは決して時間に流されない。 そんな意志を持って この1日を過ごすための「リズム」。 あなたの今週1週間も どうか豊かなものとなりますように。 |
エンターテイナー
2009 / 06 / 28 ( Sun ) 水田画生がお届けする
リバースコーチングのブログへようこそ。 2009年6月25日 「人類史上最も成功したエンターテイナー」が亡くなった。 音楽に視覚という要素を結びつけた張本人が その人生の大半を自らの「視線」に悩まされ続けたことは (いや、だからこそ、彼は音と視覚を結びつけたのかもしれないけれど、、、) ある意味、とても皮肉なことだったと思う。 人という存在は あまりにも「深い」。 その美しい部分も 闇の部分も含めてね。 だから、最後くらいはしっかりと口をつぐんで、 ぼくたちは彼の残した「仕事=音」にこそ耳を傾けてみたいのだよね。 そして、同時に思う。 彼の仕事を振り返りながら、 ぼくたちが本当にしなければいけないことは 他ならぬ自分自身のことを 振り返ることなのではないか、、、と。 ぼくたちが最期を迎えるとき、 ぼくたちには人が耳を澄ますべき、 あるいは人の口にのぼるに値するような、 仕事を残すことができているだろうか、、、と。 たとえ、ぼくたちの人生がスリリングでもデンジャラスでもなく ごくごく平凡な人生であったとしても、 それは間違いなく、真剣に問うてみる価値があることだと思う。 人は誰でも、最後は静かに消えていくのだから。 もし、あなたが自分の姿に迷った時は原点へと戻ろう・・・ 〜関連記事〜 「ノーマルとアブノーマルの境目は、とても曖昧なものかもしれない。。。」 「ゴスペル」 |
失敗者のメンタリティ
2009 / 06 / 26 ( Fri ) 水田画生がお届けする
リバースコーチングのブログへようこそ。 仕事でも学校でも部活でも、 誰でも失敗の一つや二つ したことがあるのではないかと思う。 今日はそんなときの気持ちを ちょっと思いだしてみたいのだよね。 特にチームプレーにおける失敗ってやつをさ。 たとえば、学生生活最後の試合を自分の落球が原因で落としてしまう。 あるいは自分の些細なミスから顧客を他社に奪われてしまう。 うぉ、、、( ̄Д ̄;)!! なんか考えただけでも胃が痛いんですけど。。。 夜も眠れなくなりそうなんですけど。。。 人によってはその出来事から ずいぶん長い時間が経っても、 その当時の夢にうなされてしまうのですね。 そう、、、チームにおけるミスとは個人にとってかくも重い。 彼らは誰に頼まれるわけもでなく、その出来事に悩み、うなされ続ける。 そんな事実から、 今日、ぼくたちは1つのことを 覚えて帰りたいと思うのね。 たとえば、失敗者を目の前にすると、 ぼくたちはその人物を責めてしまったり、 それに見合った大きな罰を与えようとすることが多い。 しかし、たいていの場合、「失敗」それ自体が、 すでにもう彼らにとって十分に大きな「罰」の役割を 果たしているということをさ。 確かに誰かの失敗は チームにとって、 組織にとって手痛いものだ。 しかし、そんなときにこそ、 ぼくたちはぼくたち自身の 体験を思い返してみたい。 すると失敗者に対する ぼくたちの認識や態度は 変わらないだろうか? そして、もし、そんなぼくたちの態度に接したとき、 失敗者のメンタリティにはどんな変化が起きるだろう? もう、次のチャンスがないというときに、 その扉が依然として大きく開かれていることを知ったとしたら、 彼のなかにはどんな気持ちの変化が起きるだろうか? 次への扉を開けておくことで、 失敗者はそこから立ち直ることができる。 そして、もし、そのチャンスを与えられたのがぼくたち自身であったなら、 ぼくたちはそのチャンスを全力でモノにしようとするのではないかな? 失敗の重さは失敗をした当事者が一番良く知っている。 だとしたら、チームのリーダーは 失敗者に失敗の責任を負わせることではなく、 どうしたらその失敗者が次に最高のパフォーマンスを 発揮できるのかというところに視点を持っていきたい。 「罰」はすでに与えられている。 あなたの失敗者に対する そんなまなざしこそが、組織を変える。 金曜日を迎えたぼくたちは そんな事柄を改めて肝に銘じながら、 この一週間の出来事を振り返ってみない? では、また。 |
夏物セール
2009 / 06 / 24 ( Wed ) 水田画生がお届けする
リバースコーチングのブログへようこそ。 まったくもって、朝から雨がじゃかじゃかと降っております。 え〜と、世間はそんな天候にも関わらず、 年々前倒しっていうか、 百貨店ではすでに夏物のセールが はじまっているわけでございますね。 やがてトマトやらナスやらが 年中食べられるみたいな感覚で、 近々「夏物セール」ってのも、 一年中食べられる夏野菜みたいな 感覚になりそうな勢いでございます。 きっと近い将来、幼い子供と母親との間では こんな会話が交わされるようになっていることでございましょう。 「お母さん、夏物セールまだ?」 「いまはまだお正月ですからね。 もう少し我慢なさい。 3月にならないと夏物セールははじまりませんよ」 、、、などという前フリから、 今日はなんとなくビジネス的なお話かと思いきや、 マインド的なお話なのですけれどもね。 笑 ぼくたちは普段、 「お買い得品」とか「セール」って言葉に、 弱いわけよ。 ま、それはそれで、 悪くはないんだが。 たとえば、「成長痛」って言葉があるけれど、 成長するためには多少痛みを感じるくらいのほうが、 よく成長したりする。 それと同じように、たぶん世の中には、 値切っていいものと悪いものとがあるように思うのね。 値切ると結果的にあまりよろしくないもの。 それは「自分の成長に対する投資」だと思う。 バーゲンセールで買った商品って、 なんとなく失敗してしまうことが多いでしょ? あるいはあなたが本当に気に入っているお洋服って、 セールではなくきっちりとお金を出して買ったものが多いのではないかしら? 自己成長に対する投資を値切るってことは、 自分をバーゲンセールするということだ。 「自分をバーゲンセール」。。。。 う〜ん。 これってさ、ちょっと危ない展開だと思わない? 自分が成長するための投資は 多少の痛みを感じるくらいでないと、 あまり身にはならない。 これは「かもしれない」ではなく、「現実」ね。 人はお金を払うことを軽んじたものに、 一生懸命にはなれないようにできている。 だとしたら、ここは逆の発想で、 自分が本当に必要だと感じたことに対しては 「しっかりと払ってみる」ということを 人生や生活において徹底してみたらどうなんだろうね? これは見方を変えれば、 いっぱいお金を払っているように思えても、 「経費で落とせばいいや…」みたいな感覚の社長さんも、 マインド的には「値切ってる人」と同じわけで。。。 その場合は、会社のお金ではなく、 社長さんのポケットマネーから 出してみるぐらいの思い切った行為が 必要になるのかもしれない。 もちろん何事も無理のしすぎはよくないし、 お金の「重み」は人によって違うから、 いくらということは一概にはいえないけれど、 キーワードとしては「きっちり払ったという達成感」(笑)とか 「ちょっと痛みを感じる」ってところだと思う。 そういう意味でのお金の使い方を みんなでうまくなっていきたいとぼくは思うのだよね。 でないと、セールで買ったお洋服みたいに、 買ったはいいけど、 一生タンスに吊り下げたまんま なんてオチになりかねない。 お金というものは大切なものだけに、 それを使う人の「センス」や「品性」が常に問われる。 だからこそ、その使いどころを見極めていきたいのだよね。 そして、もしあなたがそんなお金の使い方ができたなら、 たぶん、数年後のあなたは見違えるほどに成長しているとぼくは思うよ。 くれぐれもあなたの人生や成長を 夏物セールにしてしまわないようにね。 それはもっともっと大切に扱われるべきものだ。 今日からぼくたちは そんな「お金を払う」ということに対する マインドを変えよう。 〜関連記事〜 「お金にまつわる「原因」と「結果」の法則とは?」 「お金の「正しい」使い方とは?」 「もっとも「効果的」にお金を稼ぐ方法とは?」 「給料分の仕事」 「期待値」 |
いつまでも幸せに暮らしましたとさ
2009 / 06 / 23 ( Tue ) 水田画生がお届けする
リバースコーチングのブログへようこそ。 たとえば、昔、母親に読み聞かせてもらった童話のオチって、 「こうして2人はいつまでも幸せに暮らしましたとさ」みたいな感じで、 幼いぼくらは安心して本を閉じて眠りに就いたものだけど、 大きくなると、その安心だったはずの「オチ」が心の中で、 「ぼくらはいつまでも幸せに、、、暮らせるのだろうか?」みたいな 疑問文に変わっていたりして。 些細な語尾の変化なんだけど、 この違いは案外大きい(笑) そんな疑問文とともに、 幼い日の眠りは遠く、 いつの間にかぼくたちは 毎日をなんとなく不安な 思いで生きていたりする。 で、まあ、ここは1つ思うのだけど、 おそらく人生で大切なことってさ、 遠くの未来までも見据えた「いつまでも幸せ」より、 まずはいまこの瞬間が「幸せである」ことなんじゃないのかなぁ。 遠くの未来に思いをはせて 眉間に皺が寄っちゃってるのは、 やっぱりナンセンスなことのような気がする。 それよりも、お仕事中のあなたはどんな顔をしているの? お家に帰ったあなたは、笑顔かな? そんな「いま」この瞬間こそをつかもう。 「生きている」ということは、 結局、そういうことだとぼくは思うよ。 あなたはそんな幸せを「掴む」資格のある人だし、 あなたはそんな幸せを「掴める」人だ。 ぼくたちが目指すのは どこか「遠く」の幸せではなく、「いま」幸せな人。 ここからたぶん、あなたの「お話」ははじまる。 仮にあなたがいま「不安」なら、 とりあえず今日1日という 「幸せ度数」を上げることに、全力を尽くそう。 では。 |
そこに「緑」はあるか?
2009 / 06 / 19 ( Fri ) 水田画生がお届けする
リバースコーチングのブログへようこそ。 2週間前に行われた リーダー層を対象とするセミナーで ぼくは周りを取り囲んだ参加者1人1人に 一枚の絵を見せておりました。 「見ましたか?」 「見ました」 「季節は?」 「秋、、、です」 「じゃあ、そこに使われている色はなに色だろう?」 「赤とか、、、黄色とか」 「うん、そうですね。赤や黄色だ。 じゃあ、もう一度、絵を見せますね」 そういったぼくは 今度は絵のある部分だけを指さしながら まったく同じ絵を見せて回ったのですね。 「なに色ですか?」 「緑です」 「緑」 「緑、、、だ」 次々とそんな声が上がります。 そう、そのとおり。。。 ぼくたちはそこに使われている色彩が 赤や黄色だと思っていたけれど、 ぼくが指さしたその場所に使われていた色は まぎれもなく「緑」という色だったのよ。 日常生活のなかでぼくたちはほぼ反射的に 「秋」を彩る色彩は赤や黄色だと思ってしまう。 いわば、ぼくたちがその風景を「秋だ、、、」と認めた瞬間に、 ぼくたちは自分自身の手でそこにある「緑」という存在と可能性を 消し去ってしまっているのだよね。 考えてみると、 この「事実」は ちょっとおそろしい。 このときのセミナーで行われた 一連のワークと同じように、 ぼくたちはたいていの場合、 自分で決めつけた風景を認めているだけで、 本当の景色を「見てはいない」。 物事を見極めるためには、 まずはそんな「事実」から 知っていきたいと思う。 そのために大切なことは 目の前の風景を「決めつけないこと」、 そして「わかったつもり」にならないことだと思うのだよね。 「あの人は短気だ」 え、本当? 「あの人はパンダが好きだ」 パンダよりもっと好きなものはないのかしら? 「わかったつもり」にならなければ、 そこから必ず「問い」が生まれる。 そこから先の風景を、 つまりは秋のなかの小さな「緑」に 目を配ろうとする。 それがコミュニケーションの大切な「一歩」となるのだとぼくは思うよ。 ぼくたちはあの人の「本当の姿」を知っているだろうか? 赤や黄色のなかには、小さな「緑」が含まれてはいないだろうか? 物事はいつだって、 ぼくたちが思うより、 ほんのちょっとだけ「奥深い」。 そんな本当の「風景」を見極めていくことは、 それを見極めるぼくたちにとっても幸福なことだよね。 ではまた。 <関連記事> →「観察力の持つ『力』」 →「察知する」 |
時間をかける
2009 / 06 / 13 ( Sat ) 水田画生がお届けする
リバースコーチングのブログへようこそ。 土曜日を迎えて、ほっと一息をついておられる方も多いでしょうか。 慌ただしい日々を過ごしていると、 ぼくたちはすっかり効率ばかりを 重視するようになってしまうような気もする。 朝の支度から 夜ベッドに入るまで、 一瞬の無駄もない、、、みたいな。 笑 「ToDoリスト」を作ったり、 「やらないことリスト」を作ったり、 「優先順位」を定めたり。 もちろんそんな1つ1つの事柄は とても大切なことなのだけど、 それらのことをこなすのにも 「効率」とか「スピード」なんていう 単語ばかりが頭をかすめていたりしてね。 で、ちょっと思うのよ。 少し余裕のある週末には、 なにをするにも あえて「ゆっくり時間をかけてみる」。 なんてことは、 いかがかしら? お料理でもお風呂でも、 あるいはちょっとした趣味でも 部屋の片づけでもいいかもしれない。 1つ1つのことを ゆっくり丁寧に、 そして、楽しんで。 もし、そんな時間を持つことができたなら、 慌ただしい時間の流れのなかに身を置く日常とは またなにか違った世界が見えてくるかもしれないよね。 たとえ、いまのあなたの日常が 心の揺れ動くような日々ばかりであったとしても、 ふと顔を上げれば今日も白い雲はゆったりと流れ、 どこまでも続く空はのんびりと青い。 あなたの時間を、 ゆっくりと楽しもう。 そして、どうかそんなあなたの週末が 心穏やかに過ぎていきますように。 |
歩幅
2009 / 06 / 12 ( Fri ) 水田画生がお届けする
リバースコーチングのブログへようこそ。 午前中降り続いていた雨が上がって、 乾いた路面に点々と足跡が付いていた。 同じようなその足跡は、 でも、よく見ると、 みなその歩幅が違う。 当たり前のことなのだけど、 人は自分の歩幅でしか歩けない。 歩き続ければ迷うことがあるかもしれない。 間違うこともあるかもしれない。 でも、ぼくたちは自分のできることをしよう。 ぼくたち自身の歩幅で歩き続けよう。 結局はそれが生きていく上で、 一番大切なことなのではないかと思うのだよね。 どうか今日もあなたの歩幅で歩く あなたの人生が守られますように。 |
素直さ
2009 / 06 / 11 ( Thu ) 水田画生がお届けする
リバースコーチングのブログへようこそ。 ぼく自身の反省と自戒をこめて ここに書くのだけど、 他人からの忠告や意見に対して 素直に「耳を傾ける」ということは 簡単そうで意外と難しい。 たいていの場合、ぼくたちは相手の言葉を聞いた瞬間、 「だけど、、、」、「それでも、、、」という接続詞を使って、 相手の意見に対する言い訳をしたり、反論をしてしまうのだよね。 あるいは上辺では「うん、うん」と頷いてはいても、 心が完全に反応していない、、、とか。 そんなときのぼくたちはどこかに 「自分自身については問題がないはずだ」 という思いがあるのかもしれない。 あるいは「おまえになにがわかるか、、、」 という反発心が芽生えているのかもしれない。 しかし、それがなんであれ 外側からの情報を拒絶するという姿勢は、 ぼくたち自身が成長していく上での大きな「障害」となる。 その瞬間、ぼくたちは自分自身の成長の可能性を 自分自身の手で拒絶してしまっているのだよね。 なにも知らないうちは 誰の話にも一所懸命に耳を傾けるけれど、 1つの事柄に精通していくと、 だんだんと頭が固くなってしまうことがある。 けれども実際には、 仕事や人生のクオリティを維持するためには 素人や畑違いの人の意見にこそ 真摯に耳を傾ける努力と姿勢が必要なのだよね。 たとえ、それが未知の相手であったり、 あるいは自分が尊重されていないように 思える相手であったとしてもさ。 誰の話に対しても、 真摯に耳を傾けるという姿勢は、 その人の「器量」を表す。 それは頭ではわかっていても、 実行することは難しい。 しかし、たとえほんのひとかけらであったとしても、 そんな耳を持つ努力をぼくはいつでも心のどこかに秘めていたいと思う。 それをなんとか体と行動で表していたいと、思う。 不必要なプライドと慢心は危険だ。 どうかぼくたちがどんなときも素直な耳を持つ 自分自身でいることができますように。 そのためにまずは「だけど」「それでも」という 「反論の接続詞」を封印してみるというのは、いかがかしら? すべての人の言葉は、 天使の言葉だ。 では。 |
明日は来る
2009 / 06 / 03 ( Wed ) 水田画生がお届けする
リバースコーチングのブログへようこそ。 人生ってのは笑顔があれば、涙もあるんだが。。。 今日がどんな一日だって、 明日は来る。 必ず来る。 だから、どんなときもぼくたちは前を見つめていよう。 そして、そんな明日という日がやってくるからこそ、 いまこの瞬間を大切に生きよう。 |
「理想」へと踏み出す
2009 / 06 / 01 ( Mon ) 水田画生がお届けする
リバースコーチングのブログへようこそ。 たいていの場合、我々がそこから 立ち上がる理由は数少ないけれど、 そこにとどまる理由は数限りなくある。 わたしにはできない わたしにはふさわしくない なんて思いも含めてね。 「原因と結果の法則」を著したジェームズ・アレンはぼくたち1人1人について、 人生で直面するどんな状況にもぼくたちは賢く対処することができ、 自分自身を望みどおりの人間に創り上げる 「変容と再生のための装置」を持っていると書いている。 そう、1人の例外もなくね。 今、あなたが腰を落ち着けているその場所は、 不平不満と妥協に満ちているかもしれない。 でも、1つだけ忘れたくないことがある。 それは、その場所を選び、 そこを自分にふさわしい場所にしているものは、 他ならぬぼくたち自身なんだということをさ。 今、日々の生活のなかで、あなたの口からは 周囲に対する不平ばかりが漏れていないだろうか。 諦めがあなたの心を満たしてはいないだろうか。 それでもあなたは 「わたしはそれでいいの、放っておいて」なんて、 お澄まし顔でいうけれど、 その心の中にはちゃんと別の声も 聞こえているんだよね。 ただ、諦めと、不安と恐れが あなたの胸をふさいでいるだけでさ。 理想を掲げて新しい世界へと向かう理由は いつだって数少ないけれど、 その「理由」はいつだって たった1つで十分なのだとぼくは思うよ。 あなたがもし今、心の片隅に そんな思いを抱えているなら、 勇気をふるって歩きだしてみない? 周囲に対する不平不満をしまい込もう。 ただ、その場所で、自分にできる精一杯のことを積み重ねていこう。 そして、信じるのさ。 「わたしは必ずそこにたどり着くことができる」と。 あなたの視線は高い空へと注がれ、 決して地面へは落ちない。 たとえ、あなたの体が泥にまみれていたとしてもね。 そんなあなたの想いと行動が、 かならずあなたを新しい場所へと 導いてくれるから。 ぼくたちはそんな希望と決断に満ちた 6月を踏みだしていこうね。 |
この仮説に賭けてみたい 〜サーバントリーダーシップ〜
2009 / 05 / 29 ( Fri ) 水田画生がお届けする リバースコーチングのブログへようこそ。 たとえば、去年の暮れに日本で発売されたロバート・K・グリーンリーフ氏の 「サーバントリーダーシップ」がまさに去年書かれたものならば、 そこには文句なく輝かしい「希望」と「未来」ってやつがあったかもしれない。 しかし、この本は今から30年も前に書かれた本なわけでさ。 昨今の人類の体たらくを見るにつけ、 この本が書かれていようがいまいが、 「世の中は悪くなる一方じゃねぇか」 なんて思いが頭をもたげたとしても 無理はないわけよね。 そんな600ページにも及ばんとする、 げっそりするほど分厚いこの本が、 最近、たまたま入った首都圏の本屋さんで 平積みにされておりまして、 ワタクシは思わずこんなことを 思ったわけでございます。 こんな分厚くて読みづらい本を いったいどこの誰が読むのよ(失敬、、、^^;)と。 もちろん基本はビジネスパーソン ということになるのだろうけど、 コイツは分厚いだけじゃなく、 机の前でじっくり腰を落ち着けて読むことを 要求してくるわけよね、マインド的に。 さらに教会組織にかかわる部分など、 日本には馴染みが薄いであろう文化や記述も 随所に見受けられたりもする。 果たして、そんな世界名作全集でも読むみたいな 噛みごたえのある本を ただでさえ忙しいはずのビジネスパーソンが いったいどれくらい真面目に 読んでくれるのだろうか、、、と。 しかし一方でこの本は 単なるビジネスとかリーダー論を超えた、 ロックでソウルな一冊でもあると思うわけだ。 (いや、表面上は技巧を凝らした大著ですらなく、 数多くの論文や講演記録の積み重ねなのだけれども、、、) そして、実はこの本のもっとも大きな価値は そこにあるんじゃないかとすらぼくは思う。 個人的には大企業という組織の中で生きてきた筆者が 非常に繊細な感性を保ち続けたことそれ自体に、 とても大きな「救い」を読み取るのだよね。 ある種の人たちはこの本によって ビジネスというものが「哲学」という側面を 持っていたのだということを 改めて思い起こすことになるかもしれない。 「人生をこの仮説に賭けてみたい」 彼はそういって静かに熱く筆を置く。 筆者の何百ページにも及ぶ 格闘の軌跡を見た末のその一言は、 なかなかグッとくるものなのだけど。 しかし、同時にそれは とてつもない軽やかさを 秘めてもいるのだよね。 たとえ、世の中や未来がどんな状況であったとしても、 生きている限りぼくたちは松明を掲げ、 自分の信念と希望に向かって進んでいくことができるわけでさ。 彼がそうしたように、 ぼくも自分の胸の中にある「仮説」に 賭けてみたいと思う。 「サーバントリーダーシップ」。 それはそんなロック且つソウルフルな、一冊。 笑 読了すると、なぜか不思議な希望が 湧きあがってくる力がこの本にはある。 たとえ、現代社会が30年前と同じように 愚行を繰り返す世の中であったとしてもね。 なぜならそれは、 ぼくたちがこれから取るべき行動とは なんの関係もないのだから。 |
「あなた」という存在の大きさ
2009 / 05 / 26 ( Tue ) 水田画生がお届けする
リバースコーチングのブログへようこそ。 たいていの人はエリートではない。 そして、もし、あなたがエリートでないならば、 あなたはおそらくありきたりな、 誰もができるような仕事に就くことだろう。 あなたは一見、ただの歯車のような 人生を送ることになるかもしれない。 でも、果たしてそれは 本当にそうなのかな? 少なくとも、ぼくは「違う」と思うのね。 なぜなら、あなたはその仕事の中で あなたにしか果たせない役割につくはずだからだ。 それはチームの中でのムードメーカーや アイディアマンといった役割かもしれないし、 あるいはもっと他の人の目には触れにくい何かかもしれない。 それがどんな役割であったとしても、 それはあなたにしかできない、 あなたならではの味わいのある 役割になるとぼくは思う 仮にいつかあなたがそこから去ったとしたら、 あなたの仕事はほかの誰かが引き継ぐだろう。 そう、なんの問題もなく。 しかし、あなたの果たした役割と個性は 他の誰にも引き継ぐことはできない。 そう、永遠に。 確かに、あなたはエリートじゃないかもしれない。 しかし、あなたはそれでも 他の誰にも代えがたい「存在」だ。 もし、あなたが人並み外れた すばらしい能力に恵まれていたとしても、 人々に対してそんな「まなざし」を 持つことができないのなら、 それはとても不幸なことだとぼくは思う。 あなたは高い場所から 人々を見下ろして 暮らすのかもしれない。 しかし、そこにはあなた以外の人間は 誰ひとりとして存在しないだろう。 一方で、エリートでないあなたは 誰でもできる仕事を持ち、 目立たない一生を送るのかもしれない。 しかし、そんなあなたには 今日もあなたにしかできない役割と あなただけを必要としている人が待っている。 そして、そんな大多数である「あなた」が常に良いものを選択し、 よりよい指導者を見分ける目を養い続けるなら、 やがてあなたはこの世の中を本当の意味で導くのは、 他ならぬ「あなた自身」なのだということに気づくだろう。 「あなた」という役割は 常にあなた自身が想像する以上に「大きい」。 「使命」というものは、 どんな人でも、どんな場所でも 見つけることができる。 あなたの力を必要とする人は 必ずあなたの身近にいるし、 あなたはそのための力を 十分に持っている。 そのためのまなざしを あなたが持ち続ける限りね。 そして、それはとても可能性に満ちた、 とても幸せな人生だと、ぼくは思うよ。 |
耳を澄ます
2009 / 05 / 25 ( Mon ) 水田画生がお届けする
リバースコーチングのブログへようこそ。 慌ただしい一週間が始まっておりますね。 時の流れの速さや 膨大な情報に飲み込まれて、 ぼくたちは時々、自分自身の進んでいくべき方向が わからなくなっちゃうことがあるかもしれない。 ただ、物事というものは不思議なもので。 どんな騒音や雑音の中でも、 ぼくたちがそれを聞き取ろうとする限り、 必ずそれは聞こえてくるようにできている。 あるいはそれがどんな暗がりや 雑踏のなかであったとしても、 ぼくたちが見極めようと思っている限り、 必ずそれは見えてくる。 大切なことは、 見ようとする姿勢、 聞こうとする姿勢を、 絶対に失わないことだと ぼくは思うんだよな。 あなたが聞こうとする限り、 いつか必ず、その音は聞こえてくるよ。 見失ったと思ったものも、 あなたが諦めずに 目を凝らしている限り、 いつか必ず見つかるはずだ。 だから、今週も 耳を澄まして、いこう。 諦めずに目を凝らし続けよう。 では、また。 |
やさしさ
2009 / 05 / 24 ( Sun ) 水田画生がお届けする
リバースコーチングのブログへようこそ。 「やさしさ」が、あったらいいなぁと思う。 なんかの爪の垢でも煎じて 飲むことでもできたらさ。 ぼくは基本的に薄情で冷たい人間だから、 どんな瞬間にも「やさしさ」や 「愛」というものが足りないのだけど、 しかし、ぼくの仕事は 人様の人生に関わる仕事なわけだから、 そこには結局、彼らに対する「愛」こそが もっとも必要なのではないかと思う。 どうもそこに必要なものは 「技術」じゃないなぁ、、、と。 コーチといえども、 人を傷つけていいわけではないし、 たとえ、伝えなければいけない 言葉や質問があるときも、 自分だけ安全な場所にいるのではなく、 彼らの痛みをしっかりと感じ、 彼らと同じくらいの血を浴びる覚悟で それを伝えていきたい。 その言葉と質問で 彼らが眠れなくなるのなら、 その言葉を発した当のコーチは ぐっすり眠っていいのかな? きっとコミュニケーションの舵取りを教えてくれるものは 技術ではなく、その人に対する「愛」なのではないかと思う。 ここは「聞く」べきか? 言葉を「伝える」べきか? 「質問」なのか? いくら技術があっても、 その人に対する やさしい「まなざし」がなければ、 すべて虚しい。 エッジの利いたフィードバックや 質問を投げかける必要に迫られたとき、 たいていのコーチたちの頭には 自分の契約が「切られるかもしれない」 という現実と覚悟が頭をよぎるものだけど、 今、ぼくが一番考えることは、 結局、どんなときでもぼくたちには 人を傷つける「資格」まではないんだ ということだったりする。 勇気を持ってその言葉を 「伝える」だけじゃいけない。 そこに「やさしさ」と 「愛」があったのかどうかを、 真剣に考えていたい。 その言葉を発することで、場合によっては 相手と同じ「重さ」を引き受ける覚悟があるのかどうか。 人の人生に分け入るということは、 そういうことだとぼくは思う。 たとえそれが、はるか昔のコーチングだったとしてもね。 |
振り返る
2009 / 05 / 23 ( Sat ) 水田画生がお届けする
リバースコーチングのブログへようこそ。 週末を迎えておりますね。 慌ただしかった一週間の最後には 静かに自分の心に耳を澄ましながら、 この一週間の自分自身を振り返ってみるのも 悪くはない、、、と思います。 自分の向かっている方向は、 あるいは自分の取るべき姿勢は、 はたしてこれでいいのだろうか、、、と。 自分を正当化するのでも、 やたらと卑下するのでもなく、 ただ静かにあるがままの自分をね。 こうして自分の姿を振り返ると 「どうしてこんなことをしたんだろう」とか、 あるいはあなたの心の中にある理想の自分と 現在の自分自身とのギャップに すっかり嫌になっちゃうこともあるかもしれない。 でも、それでいい。 だって、もともと人は 完璧な存在なんかじゃないんだからさ。 自分を振り返る時間は、 自分の不完全さを 責めるための時間じゃない。 心によぎる一抹の不安や 「それでいいの?」と自分に問いかけ続ける姿勢こそが、 なによりもぼくたちが自分自身を しっかりと見つめ直している証拠だと思うよ。 大切なことは その等身大の現実を 大きくすることも 小さくすることもなく、 見つめ続けるということ。 自分の姿を正確に捉えている限り、必ず道は拓ける。 なぜなら、それは「人生」の現在位置を 正確に捉えているということだから。 必要なら先を急ぐばかりでなく、 ロードサイドの定食屋に入ってみたっていい。 ひょっとしたら、やたらと美味い飯が 食えるかもしれないじゃん? ま、人生やら旅ってのは、 得てしてそういうもんだしな。 笑 では。 |
「難しい」
2009 / 05 / 19 ( Tue ) こんにちは。
水田画生です。 新しい企画が提案される。 あるいは週末の遊びの計画を立ててみる。 そのたびに「難しい」と却下。 いつの間にか、 ぼくたちはそんな人間に なってしまってはいないかな? ま、確かに仲間や部下から 持ちかけられた提案も、 難しいことは難しいんだけどね。 笑 しかし一方で、「難しい=できない」という言葉をよく使う人って、 傍から見ると行動が止まっているように見える人が多くはないかい? さらにはそういう人と接していると、 なんだか自分のモチベーションまで下がってこない? 「難しい=できない」という言葉は、 行動を止める「魔法の言葉」なのかもしれない。 ジョン・F・ケネディは「10年以内に月へいく」とブチ上げた。 クリストファー・コロンブスは「俺はインドにいくぜ!」といって新大陸を発見した。 それが「難しい」かどうかなんて結局、誰にもわからない。 いや、百歩譲って、それは難しいかもしれないが、不可能ではない。 少なくともコーチがクライアントの話に対して 即座に「う〜ん、それは難しいねぇ」なんていったら、 ものすごく場が盛り下がると思うわけよ。 きっとクライアントさんからしたら、 「アンタにはもうなにも話さねぇ」って感じになるんじゃないかと思う。 どんなに荒唐無稽な話に思えたとしても、 少なくとも、それが可能かどうかくらい、 「前向き」に検討してみる価値はあるんじゃないかな。 大人になるとなんでも「それは難しい」とか 「夢みたいな話」で片づけてしまう。 しかし、それは本当はとても「危険」なことだと思うよ。 「月にいこう」と思わなければ、月へはいけない。 そう。 すべての物事は 「夢」からはじまる。 だから、ぼくたちはもう 最初からなんでも 「難しがる」のはやめにしない? 「難しい=できない」という言葉は まぎれもなく自分と相手の可能性を 消し去る危険な言葉だ。 ぼくたちには何者の可能性も 握りつぶす権利はない。 少なくとも、これからは 相手のどんな話も鼻で笑うことなく、 真剣に「きみはできる」と信じて耳を傾けてみる。 そこから、相手の世界が、 そして、ぼくたち自身の世界も、 変わっていくのではないかと思うよ。 人生の可能性とは「不可能」を 簡単に「不可能」だといわないことからはじまるのだから。 いまこの瞬間から、 誰かに対する あなたの「難しい」を封印しよう。 |






