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慢心
2008 / 10 / 27 ( Mon ) 水田画生です。
今朝はひさしぶりに青空の朝を迎えました。 太陽が降り注ぐ朝はやっぱり気持ちがいいですね。 さて。 今日は「メンタル」に関する お話をいたしましょう。 たとえば、今年入社した新入社員の人たちは だいぶ会社や仕事にも慣れてきたころかなと思います。 ぼく自身も自分がコーチングセッションをはじめた 数年前に比べたらいろんな意味で経験を積み、 当時よりは間違いなく力をつけているわけですね。 そう。 人は経験を積めば積むほど、 「うまくなる」という事実。 ただ一方で、 そこにはちょっとした 落とし穴というものもある。 それはすなわち 「経験」を積むことと 「丁寧さ」とは ちょっと違うんだ ということですね。 新人の頃は、仕事に関しては 不器用かもしれないけれど、 その任された1つ1つの仕事に対して 大事に慎重に取り組むものです。 目の前にころころと ボールが転がってきたならば、 腰をしっかり下ろして 両手で大事に取るわけですね。 でも、そんなぼくたちも だんだんと仕事に慣れてくると、 難しい飛球ならいざ知らず、 そんな風に力なく転がってくるようなボールは ひょいと片手で簡単に処理できるようになる。 しかし、そんな風に力をつける一方で、 ぼくたちはつい忘れてしまうことがあります。 それは飛んでくるボールも 転がってくるボールも 「ボールはボールである」 という事実ですね。 それこそまさに 「経験」を積むことと 「丁寧」さとは 違うんだということ。 言い換えれば、仕事に慣れてくると ぼくたちはどうしても 「雑」になるし「考えなくなる」 ということでもあります。 それはもはや「経験を積む」とも 呼べない日々かもしれない。 そんな日々を積み重ねるうちに、 ぼくたちはいつの日か、 なんでもないボールを 落としてしまうときがやってくる。 そこに至ってようやくぼくたちは 「ボールはボールであった」 という痛い事実を思い出すのですね。 いかがでしょうか? 能力が上がるからこそ、 ぼくたちは簡単なボールを 落としてしまうことがある。 そんな「経験」の裏に潜む「慢心」という罠を ぼくはしっかりと心に留めて 新しい一週間を過ごしていきたいと思うのです。 ボールの「重さ」は 本来であれば どれも同じはず。 どうかみなさまの日々が 今週も守られますように。 職場でも家庭でも 飛んでくる一球一球を大切に しっかりと腰を落として 処理をする日々でありますように。 |
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